1月27日。名古屋で開催中の「第43回日展・東海展」と「バロック時代の足跡」というクラシック・コンサートを鑑賞した。日展には、以前にパキスタンにもご一緒したことのあるA画伯の日本画が入選して出品されており、また、名曲コンサートの方には、友人S氏のお嬢さんがチェンバロ奏者として出演していて、久し振りに夫婦での芸術鑑賞の日とあいなった。

  <「第43回日展・東海展」>


         「第43回日展・東海展」(1月25日~2月12日)の 会場:愛知県美術館

 日展は明治40年の文展に始まる日本を代表する美術展だが、「第43回日展・東海展」には、日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5部門から約560点の作品が展示されていた。(以下の作品は日展のパンフレットなどからコピーして転載)


             安達英志郎画伯の日本画:「マスカレード・ヴェネ」


 
   
  <名曲コンサート:「バロック時代の足跡」>


       名曲コンサート:「バロック時代の足跡」の会場:名古屋市栄の宗次ホール

 「バロック音楽」とは、当日の会場でチェンバロ奏者のSさんからも簡単な説明があったが、ウキペディアによると、「ヨーロッパにおける17世紀初頭から18世紀半ばまでの音楽の総称である。一般に通奏低音の使用と、感情に則した劇的表現が特徴であるとされる。今日のオペラの原型や、声楽から独立した形での器楽はこの時期初めて確立された」・・・とある。

 この日は、カステッロなどの初期バロックから始まり、バッハなどの7曲を演奏したあと、最後に後期バロック音楽を代表するドイツの作曲家・テレマンの「リコーダー、オブリガート・チェンバロ、通奏低音のためのトリオソナタ変ロ長調」で終わった。・・・正直のところあまり馴染みのない曲ばかりではあったが、なかなか雰囲気の良い小コンサートであった。

                         コンサートを終えて

# by masaok15 | 2012-01-28 15:56 | イベント・展覧会

 1月16日~23日までの約1週間、久し振りに上京した。この間、新年会などで友人達と旧交を温めたが、年甲斐もなく連日飲み続けたので、正直の所かなりバテバテの1週間ではあった。



 今回、都内での移動はどこへ行くにも地下鉄(含・私鉄乗入れ)を利用したが、改めて安くて便利で早いことを痛感した。滞在した青山一丁目は、銀座線をはじめ3路線の乗換え駅なので、特にそう感じるのかもしれない。・・・最近の名古屋もほぼ同じだが、車内では、昔と違って本や新聞を読んでいる人は余りおらず、殆んどの乗客が携帯やスマートフォンと睨めっこしている光景は異様ですらある。

  <浅草雷門界隈>
 昼に友人と浅草で待ち合わせて浅草寺に参拝した。東日本大震災後は外人観光客がめっきり少なくなったと聞いていたが、平日にもかかわらずかなりの人出で、外国人も多く見掛けた。
                以前と同じような賑わいを取り戻した雷門前


           参拝客で賑わう仲見世通りは、まだ正月の雰囲気が漂っていた


          浅草寺の境内から5月末に開業予定の東京スカイツリーが見えた

  <Kさんの三味線名取襲名披露> 
 会社で一緒の職場だった後輩のKさんが、最近、三味線の名取になったので、彼女と親しい友人9名が都内某所に集まって名取襲名披露のお祝いをした。(1名欠席・1名は何故か松葉杖で出席)
    約6年の猛稽古で目出度く名取を襲名(花季翠)したKさん(O氏がスマートフォンで撮影)


          料理とお酒がほぼ一段落した所で、さっそく日頃の芸をご披露願う



     デジカメを忘れ、仲居さんに頼んだ携帯写真がピンボケのため小生は写っていない

  <旧岩崎邸庭園>
 この日は、夕方6時から学生時代の友人達8人で新年会を予定していたので、昼間、上野界隈をブラついたあと、まだ行ったことがなかった旧岩崎邸庭園を訪れた。・・・三菱の創始者である岩崎家の本邸だった明治時代の洋館だが、ボランティア・ガイドさんの詳しい説明を聞きながら見学した。


             上野不忍池:枯れた葦や睡蓮の間をカモが泳いでいた
                明治29年に建てられたという旧岩崎邸


            入口の大イチョウとオリジナルの三菱マーク(右)


             撞球室の前でガイドさんの説明を聞く(館内は撮影禁止)

  <アルムクラブ:Iさん&Hさんの結婚を祝う会>
 私が所属する社会人山岳会:アルムクラブの会員同士が目出度く結婚。・・・同じアルムの会友であるTさんが経営する銀座のバー:「アルプ」に集まってお祝いパーティーをやった。新生アルムでは初めてだが、ずっと昔にさかのぼると会員同士のカップルが4組誕生している。


                 銀座のバー:「アルプ」のママ・Tさん


                まずはアルムクラブ代表のUさんから花束贈呈
               若きクライマー:イチローさん・ヒロミさんのカップル



             集まったメンバー全員が写っていなくて申し訳ありません
                 新郎新婦を囲むアルムの若手ホープたち

 翌20日・金曜日は天気が崩れて都心でも雪になった。・・・その日の夕方には三軒茶屋で「21会」という旧・会社のミニ同期会があったのだが、上手い具合に雪も止んでくれ、スカイキャロットの26階から都内の夜景を見ながら7人で楽しく歓談した。

 <友人が最近建てた鎌倉の新居を訪ねる>
 小学校以来、既に60年近い付き合いの友人が、最近、鎌倉に新居を建てたので、土~日曜日にかけて1泊泊まりで訪問した。生憎の雨模様ではあったが、日曜日の午後からは雨も上がり、ご夫妻と一緒に久し振りに鎌倉を散策した。


             江ノ電:極楽寺駅と近くの高台の住宅地に建てた新居


               横浜の家を売って買い替えたという新居の居間にて

  <鎌倉散策>

                まずは近くの極楽寺から散策スタート


                このあと御霊神社~長谷寺~鎌倉大仏に向かう

                 長谷観音の名で知られる長谷寺の山門


         本堂内(右)には高さ9m以上の見事な金色の十一面観音菩薩がある


                 境内の「ふれあい観音」と「和み地蔵」

                      高徳院・鎌倉大仏にて
         国宝・阿弥陀如来座像(高さ約13m);因みに奈良の大仏は高さ約18m

                          鶴岡八幡宮


             日曜日だったのに初詣の参拝者はそれ程多くはなかった
                  鶴岡八幡宮の神苑:ぼたん庭園にて



         冬牡丹が2月下旬頃まで楽しめる(春牡丹は4月上旬~5月上旬)

 ・・・ということで、皆さんお付き合いの程どうも有難うございました。やはり歳のせいでしょうか。もはや精々1週間程度の上京が体力的に限界のようですので、今回、お会いできなかった皆さまには、次なる機会にぜひお付き合いのほど宜しくお願い致します。
 

# by masaok15 | 2012-01-24 20:15 | 日常全般

 映画:「聯合艦隊司令長官・山本五十六」(原作・監修:半藤一利/監督:成島出、主演:役所広司)を観た。「太平洋戦争70年目の真実」という副題がつけられているが、日米開戦から70年を迎える中で、昭和史における英雄的存在の一人である山本五十六の実像を映画化したものだ。
 この映画は、いわゆる戦争モノではない。最後まで開戦に反対しながらも、自ら真珠湾奇襲攻撃の指揮をとらざるを得なかった聯合艦隊司令長官・山本五十六・・・その生きざまをを描いた人間ドラマである。主人公役を務めた役所広司がなかなかの好演であった。


 本映画の原作・監修は、昭和史の研究家として知られる半藤一利氏である。以下に同じ半藤氏の著書:「昭和史」(平凡社刊)を参考にしながら、昭和史の中における山本五十六について、時代を追って見ていきたいと思う。・・・同時にまた、それが本映画の筋書きそのものでもある。

  山本五十六は新潟県長岡市の出身で、旧制長岡中学から海軍兵学校に進んだ。その後、2年間ハーバード大学に留学したり、海軍武官としてアメリカに3年間駐在。国際感覚を身につけた海軍きってのエリートとして、日本とアメリカとの国力の差を十分過ぎるほど認識していた人物だといえる。

 山本が海軍次官だった昭和14年(1939)。ナチス・ドイツから日独伊三国軍事同盟が提案され、それをめぐって、同盟締結を強く主張する陸軍と反対の立場をとる海軍が激しく対立した。しかしながら、長引く日中戦争によって日本の国力が疲弊し深刻な不況に陥る中で、メディアや国民の中にもドイツとの同盟に活路を見い出すべきとの機運が高まって行く。


 当時の海軍大臣・米内光政や次官の山本五十六らは、そうした世論や陸軍の圧力に屈することなく同盟反対の立場を取り続けたが、翌15年にはアメリカが日米通商航海条約を破棄。更にはヨーロッパで第2次世界大戦が勃発するに及び、結局、日独伊の軍事同盟が締結されることになる。

 その後、昭和16年(1941)になって、アメリカが「対日輸出禁止」を通告。特に、当時アメリカに全面依存していた石油輸入が途絶えることは日本にとって耐えがたい事態であった。最後まで対米戦争に反対していた、さすがの山本五十六も、「・・・アメリカと戦争することは、殆んど世界を相手にするつもりでなければ駄目だ。しかし、ここまで来た以上は最善を尽くして奮闘せざるを得ない」と語り、いよいよ山本が最も恐れていた対米戦争が避けられなくなった。


 海軍の山本五十六らが日独伊三国軍事同盟に強く反対した理由は、圧倒的な軍事力を持つ米英との戦いを避けるためであった。既に記した通り、山本はアメリカに通算5年間滞在した経験があるだけに、「・・・とことんやれば所詮は負ける戦争であり、持久戦などはあり得ない。一気にケリをつけて早く講和を考えるべきである」と主張。それが、軍令部などが無謀だとして反対した″ハワイ奇襲作戦″であった訳だ。
 山本は、敢えて無鉄砲な作戦だと分かった上で、当時の心境を、「・・・結局、桶狭間と、ヒヨドリ越えと、川中島とを併せ行うの已むを得ざる羽目に追い込まれる次第に御座候」と書き残している。
 

 山本は聯合艦隊を真珠湾に向けて出港させたあとも、日米間の外交交渉によって戦争が回避されることを期待していたというが、最終的に交渉は決裂。「ニイタカヤマノボレ・1208」との暗号指令を全軍に発した。
 真珠湾攻撃については、本来、攻撃開始の30分前に米側に最後通牒(宣戦布告)がなされることになっていた。しかしながら、実際には大使館の怠慢で通告が約1時間遅れることになった。そのため、「卑怯な騙し打ちである」として米国民から強い反発を受けたが・・・とはいえ、実は日本側の暗号文書はアメリカ側に全て解読されており、敢えて日本に先制攻撃させたというのが真相のようである。
 それはともかくとして、海軍の精鋭353機によるハワイ奇襲作戦によって、アメリカ太平洋艦隊の戦艦群(ただし、本命目標とした空母は一隻もいなかったが)をほぼ壊滅させるという、世界の戦史に残る大戦果を挙げたのである。


 その後の南方作戦でも日本軍の勝ち戦さが続いたが、次々と伝えられる大本営発表によって国中が戦勝ムードに沸き返り、山本が当初考えた「真珠湾で敵を完ぷなきまで叩き、それを機に講和に持ち込む」という意図は一気に吹き飛んでしまうことになる。・・・そうした時に映画の中で山本が言ったセリフは、「・・・世論がどうであろうと、この国を滅ぼしてはいかん」、「戦争を終わらせるのも軍人の仕事だ」というものであった。

 そのように、あくまでも平和主義を信条とした山本五十六ではあったが、ミッドウエー海戦、ガダルカナル島撤退・・・と、講和どころか、戦局がどんどん悪化する中で、昭和18年(1943)4月18日、ブーゲンビル島上空で米軍機に撃墜されて死亡する。大本営はその戦死を1ヶ月以上も発表しなかった。そして、山本が死んでから2年4ヶ月後に、300万人以上の犠牲者を出した戦争が終る。


 この映画では、日独伊三国軍事同盟あたりから、山本五十六が戦死をとげる前後までの、昭和史の中のほんの5~6年間の出来事を描いているに過ぎない。しかし、日本は、明治維新以来、約80年間にわたって営々として築き上げて来たものを、その間の戦争で全て失ってしまったのだ。

 映画の中で、山本が若い新聞記者に、「新聞とは、新しい動きを目と耳と心で伝えることだ」とアドバイスした。そして、この映画を通じて改めて感じたのは、新聞(メディア)があの戦争に大いに加担したという歴史的な事実である。当時の日本が深刻な経済不況に陥って閉塞状態にあったとは言え、メディアが先頭に立って国民に戦争を煽ったこと自体に大きな問題がある。また、軍部の統制があったとはいうものの、戦時中のメディアの報道ぶりをみても然りである。

 当時と比べた時、現在はメディアが自由に権力批判が出来るだけに、一見すると戦前とは全く違うようではあるが、実のところは、メディアの持つ危うさは当時も今も余りあまり変わっていないように思われてならない。・・・頻繁に行う″世論調査なるもの″を利用しながら、時の政局を左右しようなどとする今のやり方とか、原発の真の問題点を報道してこなかったことなどは、その危うさの最たるものと言えるかもしれない。

 冒頭でも記した通り、この映画は、昭和史の研究家として知られる半藤一利氏の原作と監修のもとに制作された。原作本は最近刊行された「聯合艦隊司令長官・山本五十六」(文藝春秋刊)という映画と同じ題名である。同氏の主な著書には、「日本のいちばん長い日」(文藝春秋刊)や、上記の「昭和史」(平凡社刊)などがある。
 原作本はこの映画のためにわざわざ刊行されたというので、映画を観る前に本屋で立ち読みをした。しかしながら、特に山本五十六に関する記述に関しては、以前に読んでいた「昭和史」の内容と殆んどの部分が重複していた。
 山本五十六という人物の存在を、昭和の初めから太平洋戦争突入後までの、激動の歴史全体の中で捉える意味からも、これから読まれる方には、敢えて「昭和史」の方をお勧めしたい。

 最後に、「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」・・・ご存じ、山本五十六が残した有名な言葉である。

# by masaok15 | 2012-01-13 11:35 | 映画・TV・書評

 正月三ガ日明けの5~6日にかけて、三重県の錫杖ヶ岳と修験業山・栗ノ木岳に登った。・・・今年の初登山である。 いずれも1000m前後の低山ではあるが、錫杖ヶ岳(676m)、栗ノ木岳(1066m)ともピラミッド型をした姿の良い鋭峰で、遠くから見ても登行意欲をそそられる山だ。また、山麓の若宮八幡社の奥宮がある修験業山(1094m)は、古くから山岳修験道場の山として知られている。

 <第1日目>
 名古屋から東名阪道を走っていると桑名の手前から雪が降り出した。御在所SAで朝食をしていると、辺り一帯みるみる真っ白くなった。ただし、既にスタッドレス・タイヤに履き替えていたので特に問題なし。・・・伊勢自動車道・芸濃ICで降りて錫杖湖近くの駐車場に着いた頃には青空が覗いた。
                     駐車場から見上げた錫杖ヶ岳


        錫杖ヶ岳へは幾つかの登山道があるが、東登山口から登る(標高差:520m)


              沢沿いの道を暫らく登ったあと樹林帯の中の急登が続く
                    雪があがって青空が覗き始める


       登山道は良く整備されていて、途中1~10(山頂)までの番号看板がある


                 ちょうど1時間で稜線上の分岐に出た
             地元では人気の山だそうだが今日はまだ誰も登っていない


              頂上直下の9番(右)からは、かなりきつい急登となる


               錫杖ヶ岳山頂(676m)から伊勢湾方向の眺め
                       眼下に錫杖湖を見下ろす
           錫杖ヶ岳に千回近く登っているという人にシャッターを切って貰う
                        山頂の霧氷が綺麗



 錫杖ヶ岳は土地の人が「雀頭」と読んでいる岩山で、古くから雨乞いの霊山として知られる。その昔、龍の化身と寺の住職との不思議な出会いが伝説となり、日照りが続いた時には、南無八幡大菩薩の幟旗を先頭にして山麓5ヶ村の人たちが山に登って雨乞いをしたという。


      いったん9番の看板まで戻り、西登山口を経由して山麓の落合本法寺へ下る

 <参考タイム> 1月5日 雪のち時々晴れ
 錫杖湖駐車場9:30~尾根分岐10:30-35~錫杖ヶ岳11:10-40~
 落合本法寺12:30-35~駐車場12:40

 登山後、再び伊勢自動車道・芸濃ICに戻って久居ICまで南下。県道15号線を通って火の谷温泉の「美杉リゾート・ホテル」に行き、さっそく温泉に入って夕食までゆったりと寛いだ。
             火の谷温泉:「美杉リゾート・ホテル」の露店風呂


           夕食はカニが食べ放題のバイキング(1泊2食:@13100円)

 <第2日目>
 美杉リゾートから県道沿いに若宮八幡神社に向かい、およそ30分程で八幡宮の駐車場に着いた。まずは社殿に立ち寄って今年1年の安全登山を祈願することにした。伊勢平野を見下ろす修験業山の麓にある「川上山・若宮八幡社」は、、伊勢、伊賀、大和の国境に近いこの郷の開拓を命じた仁徳天皇を偲んで5世紀頃に創建されたといわれている。


                   日本最古の若宮八幡宮だとされる
                   本殿前の鳥居に造られた茅輪くぐり
 

                 神社奥の登山口から白山谷沿いの山道に入る


                  はらい滝(魚止めの滝)下で白山谷を渡る
                   沢を何回か渡りながら高度をあげる


             堰堤の先で修験谷を渡ってから樹林帯の中の急坂を登る


             雪が多くなってきた急斜面を登る(左手に栗ノ木岳が見える)


             最後のヤセ尾根を登って栗ノ木岳との分岐の稜線に出た
             栗ノ木岳分岐から修験業山を往復する途中にある高ノ宮


                 雪面には動物の足跡がたくさんあった


              登山者が一人もいない新雪の稜線を気分良く歩く
                       雪面に映る樹影が綺麗


                     修験業山(1094m)山頂にて
                  高ノ宮手前から栗ノ木岳の雄姿を望む


           分岐まで戻ってから、いったん鞍部まで下って栗ノ木岳に向かう
                稜線の右手斜面に色鮮やかな紅葉?が見えた


              栗ノ木岳(1066m)山頂にて(自動シャッター使用)
                       栗ノ木岳山頂からの眺望


                     山頂から修験業山を振り返る


             頂上付近は石楠花が沢山ある(見頃は5月上・中旬らしい)
                  稜線から局ガ岳(1029m)を望む

 上の写真を撮った場所から先は、若宮峠まで北斜面の急な岩尾根の下りになった。雪が積もった岩場は所々凍っており、こんな所でスリップしてケガでもしたら最悪なので、岩角と木の根を頼りに慎重に下った。・・・結局、夏のコースタイムの倍ぐらい掛って峠に降り立った。


             若宮峠から先は、谷筋を何度も渡渉を繰り返しながら下る
       谷筋が暗くなり始めるのは早く、何とか15時頃に若宮八幡の駐車場に戻った

 <参考タイム> 1月6日 晴れ
 若宮八幡駐車場8:55~本殿下登山口9:10~栗ノ木岳分岐11:00-05~高ノ宮11:20~
 修験業山11:40-55~栗ノ木岳12:55-13:10~若宮峠13:50~若宮駐車場15:05

 今回の修験業山~栗ノ木岳登山では、平日ということもあって誰も登山者がいなかったが、正月始めから降った雪のため、三重県・中南部にしては思いがけぬ新雪の山を楽しむことができた。ただし、初めて登る山にも拘わらず、事前にやや甘く見ていたこともあって、スパッツもアイゼンも持参しなかったのは失敗だったと大いに反省している。・・・やはり冬山を決して甘く見てはいけない。

 なお、久し振りに適度な緊張感と新鮮な気持ちで、一人ぽっちの雪山を味わえたことから、修験業山と栗ノ木岳の2つの山をワンセットで「私の100名山」に加えたいと思う。(この項;1月8日追記) 
                     「私の100名山リスト」
 (この1年間では、岩木山⇒火打山、及び由布岳⇒修験業山・栗ノ木岳の2つを入替え) 

# by masaok15 | 2012-01-07 21:58 | 名古屋周辺の山

             明けましておめでとうございます
                          2012年元旦
                  ブータン:タクツァン僧院(2011.10.)         
    

 <年頭所感>
 2012年1月1日。名古屋の今日の天気はやや雲が多いものの、東の空から昇る初日の出を拝むことができ、お陰さまで今年も家族ともども穏やかな元旦を迎えました。

 昨年の東日本大震災では、約1万6千人が犠牲(今も3500人近くが行方不明)になり、33万人以上の人達が避難・転居生活を余儀なくされている。
 また、福島の原発事故についても、政府が「原子炉の低温停止状態をクリアした」として″事故収束宣言″をしたとはいえ、原発の廃炉までには今後30~40年も掛るとされており、放射能対策を含めた本当の事故処理は正にこれからが本番という状況にある。

 ・・・いずれにせよ、今年はまず、被災地の復興・復旧への本格的な取組みが当面の最重要課題だと思われる。(左上の写真は自宅ベランダから見た今年の初日の出)

 一方、欧州の財政危機をはじめとする国際環境が益々厳しさを増す中で、政治・経済・財政、並びに雇用・年金・社会保障など、国政のあらゆる面で早急に取組むべき問題が山積しているのは周知の通りである。それにも拘わらず、衆参ネジレ国会のもとで重要法案が次々に先送り・・・といった事が平気で罷り通っているのは、政治家達の怠慢とでも言おうか、その不見識さには実に腹立たしい限りだ。

 昨年8月に野田政権が発足してから約5ヶ月が経過した。「内閣不支持がついに5割を超える!」といった世論調査が最近の新聞各紙を賑わし、大臣の失言問題や民主党内のゴタゴタ続きなどもあって、野田首相ご本人に対する世間一般からの評判も余り芳しくないように見える。

 「消費増税」についてだが、09年衆院選のマニュフェスト違反だとして、小沢・鳩山両氏が反対するとともに、この問題がらみで10名近い議員が民主党を離党した。・・・そうした中で、野田首相があくまで年内に取り纏めるとしていた政府の素案が、年末ぎりぎりの30日になってやっと決まった。
 首相就任後は守勢に徹し、じっとこらえる姿勢ばかりが目立ったものだが、今回は自分の政治信念をはっきりと示しながら、新首相として初めてともいえるリーダーシップを発揮したといえる。

 選挙を意識した議員や政党、大衆受けを狙ったジャーナリストたちが増税に強く反対している。・・・曰く、「増税よりもムダの削減が先決である」、「増税すれば景気がもっと悪化する」、などの意見は分からぬでもないが、中には、「デフレを止め、経済成長で税収を増やせば、もともと増税など必要ない」といった、今さらながらの主張すらある。

 TPP問題にしても然りだが、そもそも今の時代に全員が賛成などというテーマはあり得ない。しかし、少子高齢化が加速して社会保障費が膨らみ、国の財政赤字が危機的状況にあることを十分に承知していながら、何時までも問題をただ先送りしていて構わないとは到底思えない。
 従って、まずは徹底したムダの削減を図りながら、「近い将来の然るべき時期に増税するのは最早やむを得ない」、と考えるべきではないか。

 野党各党・・・中でも、先の参院選で消費税を10%に引き上げることを既に打ち出している自民党は、民主党の公約違反を理由として、衆院の解散総選挙を求めるとともに、今後の与野党協議にも応じないとの姿勢である。しかしながら、今回の素案を決定するにあたって、″消費税引き上げは、どの政権であっても避けて通れないテーマだ″・・・と野田首相がいみじくも語ったように、選挙を意識して増税議論から逃ることがあってはならないはずだ。

 今のような難局にあっては、どの党が政権を取り、また誰が首相をやっても直ぐに解決できる問題など殆んどありはしない。・・・そうだと分かっていながらも、日本人の国民性とでも言おうか、急いで結果を期待したり、首相にリダ―シップがないと言っては不満ばかりを鬱積させる。・・・日本の総理大臣が「年々宰々」交代するのは当然のことなのかもしれない。

 消費増税の議論とともに、早くも衆院解散総選挙の話がもっぱらである。国難ともいうべき今、つまらぬ政争や選挙をやっている時ではないはずだとは思うが、仮に遅かれ早かれ選挙になるとすれば、多分、消費増税やTPP参加問題などが争点になることは間違いない。・・・だが、このような難しい時こそ、マスコミが勝手に作り上げるムードや、一部の偏った情報に流されることなく、「賢い国民」としての自覚をもって物事を判断できるよう、日頃からの研鑽に努めたいと思う。

                  本年もどうぞ宜しくお願い致します

      

# by masaok15 | 2012-01-01 08:08 | 挨拶・ご案内

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